3.勇者サマリー
どうも丑寅です。
これからの丑寅を語るためには
これまでの勇者ウシトラの記録をかいつまんで語らねばならないだろう。
いつか、次なる勇者が秘宝を手にするときのため、詳細はつまびらかにせねばならぬ。
とはいえ、50代には時間がないのだ。
20代より30年分時間がない。
よって、一度にそれを記すことはできないが、薄れゆく記憶を掘り起こし『かつての書』として、未来の丑寅たちに残していこう。
【丑寅サマリー ざっくり】
新潟は長岡に生まれた。美味い米と雪解けの水でのびのび育った。
都会に憧れオラ東京さいくだ、と進学を機に上京。
大好きな本と映画とミュージシャンに囲まれて幸せにバブリーな青春を謳歌する。
ところが、ある日全てが闇に転じる。
恋人ジョー君と連絡とれなくなり失恋、やけ食いからの肥満、就職はできず、お金が底をつき、おめおめと田舎に帰ったのである。
このときが最初の森の迷子だった。
蝶を追いかけ、装備なく彷徨いこんだ森の奥で、ハッと気づけば、丸腰で、戦闘服の黒いスーツもパンプスもなく
才能だけで抜けられるほど、この森は甘くもないことに気づいておらず、目印にすべきだったお菓子のカケラは全部食べてしまっていて、せめて落としながら歩くべきだったのに、と悔やんでも後の祭り、振り向いても、風で木の影が揺れるばかり、きた道すらわからないのだ。
何も考えずに歩いた20代の森は、根性とか体力だけでは到底抜けられないほど深かった。
抜けることをリタイアして一年後、お金を貯めて過保護な親を振り切り、私はまたあの森の入り口に立ったのだ。
1年前よりも少しだけ用心深く森への一歩を踏み出してリベンジに賭けたのだ。
1年前、好きな道で就職に失敗した私は、早々に方向転換し、半年だけ勤めた派遣で雇用保険を貰い、学校に通った。
そこでもらった武器は頼りなく、刃こぼれもしていたが、それでも私は意気揚々と、設計事務所の門を叩き、バイトで潜り込んだのだ。
私はその武器を片時も手放さなかった。
30年、寝ずに働いた。(おおげさ)
30代結婚し子どもを授かり家を建て犬を飼い、全力で家庭も仕事も回してきた。
PTAに町内会に子供会、放課後の学校、ベビーシッター、塾、家庭教師、受験。
40代で父母が相次いで病に倒れ、そこに介護が加わった。
親の冥土ノ土産になるように一級建築士を取った。メディアにも出てお仕事を頂いた。
設計の仕事が大好きで、面白くて面白くてたまらなかった。
いい師にも巡り会えた。
育児も家事も介護も、心の中では全てを投げ出して、仕事のことを考えている瞬間もあったのだ。
そうして取ったバランスのおかげでどうにかここまで辿り着いた。
調子いいことかいたけど、大波乱の連続で
メソメソ泣きたい夜も正直あった。
いや泣いた。
みんなと同じように。
私の2番目の武器は高い感受性かなと思うのだが、こいつが厄介なのだ。
高すぎる共感力は、時としてざっくり自分を深く切り刻む刃ともなるのだ。
遠い国の災害も国内の犬の死も我が事のようにつらい。
娘の声が響く。
『ニュース見るのやめなよ』
落ちて泣く夜の闇は深くて、朝が果てしなく遠い。
なので普段は情報をシャットしてることも多い。でもでもいっちょ噛みで好奇心が止まらないからーーー。やめとけって。
勇者よ、賢くなれ。
私にはやりたいことがたくさんある。
やることが多すぎて、やりたいこと全部に手を出すことが出来なかっただけなのだ。
やるのを諦めたわけじゃない。
となると、今。
今こそ、それらをやってみてもいいのではなかろうか、と急に思い至ったのである。
もはや失うものは大してないのだ。
今さら恐れてなんになる?
と元気な時の私は思う。(だいたいは元気笑)
元気なうちに、今夜のうちに、あそこまで辿り着いて、柔らかいベッドで眠りたい、などと思うのだ。
そして
これからやりたいことに、私のたったひとつの武器は役に立たない。
身体の一部のような、この分身のような武器を、森の入り口に置き去りにしたのは、こういう訳があったからである。