6.書物篇 いるかもしれない要らないかもしれない
どうも丑寅です。
いるかもしれない、いつか使うかもしれない、そう思って取っておく『勿体ない精神』
これは丁寧な暮らしに欠かせないとされてきた。
『丁寧な暮らし』
なんて素敵な響きだろう。
朝、コポコポと珈琲を入れて、光差す緑深い木のテラスでゆっくり。。みたいな情景がいっぺんに頭を占拠して、パブロフの犬さながらヨダレが出てくる。
これに憧れ家は整えたのだ。
しかしキャラが整わなかった。残念!!
私はせっかちである。
食べるのも早いし、思いついたことはサッサとやって結果を出したいクチである。
ジブリの『千と千尋の神隠し』でいえば、温厚な姉の銭婆ではなく、やり手の湯婆婆。
残念だ。非常に残念である。
『そこに糸をくぐらせて、そうよ、上手ね』
みたいに娘に優しく指導したかった。
がそれは叶わぬ夢である。
ゆったりした時間、それは。。
キャラに合わなかった。
私の時間は誰よりも速く高速で流れ、目まぐるしく事象が起こる運命。
そして、時間がある時にゆっくり選ぼうと思い、その時MAX打てる限りの手を打つ。
忙しさの合間を縫って、『これはいるいるこれ要らない』『いる』『いらない』『いる』『いる』
今までどれだけ選んできただろう。
それは正しかった?
『選ばない』ということ。
選ばずに全てを手放したらどうなるだろう。
森の入口でまず最初にやったこと。
1.武器を手放した
次にやったことは
2.身軽になる
である。
早速、私は着手した。
必要だと思っていた(←ここ重要)本を全部処分することにしたのだ。
(1)本を売る
美しい装丁の洋書やインテリアの本、集めた建築の本、資料、愛着のあった小説家の連作、ほぼ全てを売っぱらってやったのである。
娘が読みたいと言ったもの以外全部。
しめて64190円。
それでもまだ、躊躇う本がある。
亡くなった親が大切にしていた本たちである。
これは、新潟の実家から引き上げてきて7年、我が家の一角を大きく占領してきた。
私の類まれなる整頓力を持ってしても、これ以上コンパクトにするのは無理、という状態になって7年。
私の卓越した空間素敵能力を持ってしても、どーにも収まりの悪い大型本の群れであった。
さして広くない我が家の一角を譲り渡すのは口惜しかったが、思い出が胸を締め付け、いかんともしがたくここまできてしまったのだ。
ざっと軽く見積もってコイツらの家賃は面積比40万である。
これは第2弾としよう。